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月曜日, 3月 13, 2006

愛嬌

昔から「女は愛嬌、男は度胸」と言われている。しかし、最近は、「男も愛嬌」と言われ始めている。男も女も関係なく、「愛嬌」は大事になってきた。

松 下電器の創業者松下幸之助さんは、松下政経塾という政治家を育成する為の機関のようなものを設立された。そして、塾生候補者の最終選考をいつも彼自身が 行っていました。その最終選考でいつも質問されるのは、「運が強いかどうか」と「愛嬌があるかどうか」の二点だけだと言われている。

運が強いことが別として、「愛嬌があるかどうか」は政治家となんの関係なんだろうか。性質、ビージョンの広ささえ優れていれば、政治家になり、国に対する方向性を導く為の政策を期待できる。一方、「愛嬌」は何に役立つのか。

し かし、良く考えてみると、将来、政治家として立候補するとしたら、選挙で票をたくさん入れてもらわないと当選できない。選挙はファン投票のようなもので、 有権者に嫌われたら、いくら立派な政策をもっているとしてもあまり意味がない。だから、「愛嬌」もう一つの必要不可欠な要素だと言える。

政 治家にとって、「愛嬌」は必要であることが理解できるが、一般の職場ではどうか。実は「愛嬌」というものは政治家だけではなく、すべての人にあてはまると 思われる。どういう職場でも個人に頼り過ぎる環境はあまり良くない。個人個人のスキルが高く、プロの集まりでも、組職としてのプロでなければ、成長できる と考えにくい。

「愛嬌が大事」といっても、勿論いつもニコニコし、八方美人で調子よくという意味ではない。「愛嬌」が大切なとき、「愛 嬌」をアピールする場面というのがあると思う。でなければ、雰囲気が暗くなり、「あいつは暗い」「生意気だ」「感じが悪い」「むかつく」「陰気で寄りがた い」といった印象を周囲に与えてしまう。一方、職場はチームワーク、つまり人間同士の交流で成り立っているから、「愛嬌」がなければ、スムーズに進まない と思う。聞かれる時にいつも冷たく、「そんなことは簡単だよ」と早合点するような態度をとるような人はいくらスキルが高くても、組職の一員としては貢献度 が薄く、極端な話では、組職にとって必要ないかもしれない。(AF)