夢...現実...失望感...怒り...喜び...悲劇...

月曜日, 5月 22, 2006

指示と報告

指示と報告の大切さ

マネジメントの目的は仕事を円滑に進める為に行われたものである。マネジメントの中の一つは、指示と報告を正しく行うことである。これについて、誰も否定しないはずである。仕事を行う上で、常識と言えるだろう。

" 指示と報告"という書き方は偶然ではない。指示があって、はじめて報告が出てくる。従って、"報告と指示"という書き方は同じように見えるが、詳細に解釈 すると違ったものである。指示の後に、報告が生まれる。だから、"報告と指示"ではなく、"指示と報告"が正しい表現である。

簡潔明瞭
指示も報告の伝え方は同じであるべきと言える。両方とも簡潔明瞭に記述及び伝えるべきものある。そうでないと、曖昧な解釈が生じ、お互いに誤解が発生する可能性が高くなってくる。
簡 潔明瞭に伝える為に、5W1Hという表現は良く用いられている。確かに、指示及び報告は可能な限り、5W1Hで表現するのは好ましい。これらは明確になる と、指示を受ける側及び報告された側にとって、より早い段階で判断でき、本当の"了解です"という答えが出てくる。"しかし、この件に関しては..."と いうような逆の答えもすぐ出てくるかもしれない。
例えば、指示に関して、なぜ明瞭に伝えるべきなのか、答えは単純である。本当の"かしこまりまし た"を早い段階で聞けるからである。逆に、曖昧な部分があるにも関わらず、なんとなく"はい、分かりました"の答えを受けても困るだろう。この状況が"ト ラブル"の種となる。途中で、"すみません、これは難しいです。どうしても間に合いそうもありません。理由は○○です"のような状況が生まれ、時間の制約 から見ると、取り戻すできなく、周りの人々に迷惑をかけてしまう。最悪の場合、納期に間に合わなくなってくる。全体的に、大損となる。時間を節約する為 に、明確な用件を洗い出さないままに指示を出したが、結果的に逆に何倍もの時間を消費されてしまう。

指示は大項目からはじめる
シ ステム開発の世界では、用件定義、設計、製造、テストと大まかな業務の流れがある。設計段階でも、基本設計と詳細設計という工程がある。これは、別の意味 では"指示"を明瞭にし、しかも明確にするためのものである。また、テスト工程でも、大項目、中項目、小項目のように、大まかなところから始まり、さらに 詳細化し、詳細な用件を満たすように段階的行われている。
なぜ、大まかな項目から始まって、少しづつ詳細化されていくのか。いきなり、詳細設計を行わないのか。これは人間のものごとに対する理解能力に関係していると思う。大項目を全体的に理解させ、それから詳細化していくのは、人間にとって理解しやすいと言える。
指 示を出す時も例外ではないと思う。いきなり詳細な用件を伝えても、受ける側にとって、整理しにくくなり、欠ける部分が出てくる可能性が大きい。詳細指示は 不要かというと、そうでもない。逆に大変重要なものである。しかし、最初に大まかな指示にまとめ、伝えるのも重要だと思う。

上司と部下、発注者と受注者
指 示は上司から部下に対して、出されたものである。用件は発注者から受注者に向けられてものである。両者の関係から見ると、同じものと言えるだろう。指示に 関して、上司は発注者であり、逆に部下は受注者である。逆にも言えるだろう。発注者は上司の立場であり、受注者は部下に等しいと言える。その上で、受注者 は提案でき、部下は意見を出すことも可能である。勿論、提案と意見は最善の結果を導き出す為のものだけである。従って、上司と部下、発注者と受注者の間に は、最善を尽くす為に、上記が重要だと思う訳である。(ねぇ、マロワさん!)

金曜日, 5月 12, 2006

いてててぇ~

その出来事が、4日ぐらい前に起こっちゃった。
社内で、ある案件の詳細要件を説明している途中、"バタァーン ブルッ~"という音が聞こえたと共に、
僕が倒れてしまった。何が起こったのか、全く知らなかった。ただ、自然に口から、"いでででぇ~!!"の声が響いた。

ところが、何があったんだろう。
ホワイトボードが落ちて、私の膝を直撃。せめって、年の若い連中に.....。一瞬立てられない状態だった。事件が取り去って、太股に痺れが走っていた。勿論左足の膝が.....既に悲鳴を上げていた。当日、椅子から立てられないぐらい。まあ、年のせいかもしれないが。5日ぐらい立った今も、太股の怪我はまだ治ってない。膝は殆どOKになったが。

これは、僕に対した新オフィスからの歓迎礼儀なのかもしれない。
ひどいな.....まったく。

月曜日, 4月 17, 2006

好き

「好き」こそ伸びる為のもっとも大切な原動力であると言われている。
仕事を行っている上でも、「好き」という言葉が重要である。
いやいやで、他にやることがないから何となくやっているというような
スタンスで毎日業務を行っているだけでは、会社にとっても、これからの
自分にとってもあまり良くない。

例え、今働いている会社は第2志望であっても、入社したからには、
第1志望のつもりでいちいち業務を遂行すべきである。そして、
まず好きになるように努力する必要があると思う。それがあって、
はじめて自分の最高の能力が発揮できる。

以前、僕が働いていた会社では、"評価が悪いから、モチベーションが
上がらない"のような言葉をいつも口にした後輩がいた。逆に、会社と
しては、"やる気が感じられないから、高評価を付けることがそもそも
不可能だ"という両者にとって、悪循環の悪い結果になってしまった。
評価を高くすれば、ちゃんと責任持っての仕事に対する姿勢が見られるのか。
そう言う保証がまったくない。逆に本人のモチベーションが上がり、
高成果を上げられれば、会社から見た本人に対する必要性が高くなり、
殆ど間違いなく、評価も高くなる。

自分の会社が好きだ、ということは重要なことである。縁があって入社した
会社に誇りとプライドを感じられないのでは働く意義もないだろう。
上記の後輩のような社会人生活になる可能性が高い。「嫌だなぁ」という
言葉は自滅への第一歩だと言われる程、プラスへの効果が殆どない。

日本の野球解説者の森祇昌さんも、一流の素質には「好きになれること」と
「努力を続けられること」の二つがあると出張している。やはり、メイン
キーワードは「好き」である。

実は殆どありえない話だが、努力して、何でも積極的に取り込んで、
毎日の業務を遂行してきた。しかし、それでも「好き」という言葉が訪れて来ない。
逆に、「嫌だぁ~。嫌いだぁ~」という気持ちがますます高まってしまう。
どうしても、こういう自体までになってきたら、別の道に目を向けた方が
良いかもしれない。周りの人の為、自分の将来の為.......

月曜日, 3月 13, 2006

愛嬌

昔から「女は愛嬌、男は度胸」と言われている。しかし、最近は、「男も愛嬌」と言われ始めている。男も女も関係なく、「愛嬌」は大事になってきた。

松 下電器の創業者松下幸之助さんは、松下政経塾という政治家を育成する為の機関のようなものを設立された。そして、塾生候補者の最終選考をいつも彼自身が 行っていました。その最終選考でいつも質問されるのは、「運が強いかどうか」と「愛嬌があるかどうか」の二点だけだと言われている。

運が強いことが別として、「愛嬌があるかどうか」は政治家となんの関係なんだろうか。性質、ビージョンの広ささえ優れていれば、政治家になり、国に対する方向性を導く為の政策を期待できる。一方、「愛嬌」は何に役立つのか。

し かし、良く考えてみると、将来、政治家として立候補するとしたら、選挙で票をたくさん入れてもらわないと当選できない。選挙はファン投票のようなもので、 有権者に嫌われたら、いくら立派な政策をもっているとしてもあまり意味がない。だから、「愛嬌」もう一つの必要不可欠な要素だと言える。

政 治家にとって、「愛嬌」は必要であることが理解できるが、一般の職場ではどうか。実は「愛嬌」というものは政治家だけではなく、すべての人にあてはまると 思われる。どういう職場でも個人に頼り過ぎる環境はあまり良くない。個人個人のスキルが高く、プロの集まりでも、組職としてのプロでなければ、成長できる と考えにくい。

「愛嬌が大事」といっても、勿論いつもニコニコし、八方美人で調子よくという意味ではない。「愛嬌」が大切なとき、「愛 嬌」をアピールする場面というのがあると思う。でなければ、雰囲気が暗くなり、「あいつは暗い」「生意気だ」「感じが悪い」「むかつく」「陰気で寄りがた い」といった印象を周囲に与えてしまう。一方、職場はチームワーク、つまり人間同士の交流で成り立っているから、「愛嬌」がなければ、スムーズに進まない と思う。聞かれる時にいつも冷たく、「そんなことは簡単だよ」と早合点するような態度をとるような人はいくらスキルが高くても、組職の一員としては貢献度 が薄く、極端な話では、組職にとって必要ないかもしれない。(AF)

水曜日, 1月 25, 2006

あなたの要件は何?

我々は何かを望んで、他人に依頼することがある。望んでいるものを正確に提供者側に説明しなければいけない。この説明を問題記述或いは要求仕様(下記に要 件と呼ぶ)の集合という。あなたが望んでいることをあなた自身が知らなければ、あるいは知っていてもそれを伝えられなければ、望んでいるものを手に入れる チャンスは減ってしまう。だから、要件は重要なのである。

要求仕様に関する米国の専門家が面白い実験を行ったことがある。五つのプログラマチームに、ただ一つの文を違うだけで、後はまったく同じコンピュータ・プログラム要件を与えた。それぞれの違った要件は下記のようである。
  使用するメモリを最小にする
  アウトプットの読みやすさを最大にする
  プログラムの読みやすさを最大にする
  プログラムの文を最小にする
  プログラミング時間を最小にする

実 験結論として、"あなたが望んでいることが伝えれば、ほぼ確実にそれを手に入れる"である。実験によれば、プログラミング・チームの成果は要件に対して敏 感であることが判明した。各チームはまさに作るべく要求されたものを作ったのである。しかし、要求されなかったものは作らない傾向があることも分かった。 ソフトウェアの発注者が、プログラマは自分たちの望んだ通りのことをできないといった苦情が良く耳にすることがあるが、この実験で否定される。

そ れでは、発注者が望んだ通りのものができなかったことは何故か。実は多くの場合、発注者の自分の望んでいることをプログラマに明快に伝えなかっただけなの だということを確信されるようになった。従って、要件(要求仕様)というものソフトウェア開発にとって、一番重要なものである。

上記だけ を記述すると、プログラマは"そうだ、そうだ。原因は我々にあるものではない"と微笑みが浮かんで来る。そのようなことを考えているプログラマは言ってお く。"いや、原因はあなた方にも存在する"。これからのプログラマはただ言われて、"じゃ、やります"というスタンスだけじゃ、やっていけない。提案でき るプログラマ、つまりシステム・エンジニアーそのものが求められてくる。それはできます。それはできません。こういうふうにした方が良いと思います。等々 のような意見を言えるプログラマだけが生き残っていけるだろう。

月曜日, 1月 23, 2006

翻訳という仕事

翻訳という仕事は、一番難しいと言っても、過言ではないと思う。
元の文書が他言語で正確にかつ解りやすく表現するのは翻訳そのものだ。外国語が不 自由に扱えるにしても、翻訳ができるかというと、そうとは限らない。翻訳は、コンテンツライター以上に難しい仕事だと思う。経験、才能、そしてその分野に 関連する知識が絶対必要不可欠である。その為、翻訳者は限られた分野に属する仕事だと思う。インドネシア政治に関する翻訳ができるとしても、他の分野でも 翻訳者としてやれるかというと、そうとは限らない。だから翻訳と言う仕事は難しい。

日本でも良くあるパターン、初めて翻訳された技術文献は、訳解らない内容になってしまう。翻訳者の経験、才能はあると思うが、元の技術的な理解が不完全であるため、なんとなく無理な翻訳文献となってしまう。だから、翻訳という仕事は難しい。

イ ンドネシア最大な朝刊である、コンパスの1月23日版で、"翻訳者"についての記事があった。会社に着いて、ハリムさんから教えられた。会社で読む機会が なかった為、家に帰ったら、ゆっくり読んだ。ちなみに、私の生活パターンは、殆ど朝刊を夜帰宅後に読む。毎日6時前に家を出る為、朝刊を読む時間が殆どな い。そして、夜9頃家に着き、夕食を済ませてから、朝刊に目を通す。

コンパスで書かれている記事によると翻訳者には下記の3つのスキルが必要とされる。
 知識そのもの
 感情を表すスキル
 文書での表現スキル

多少でも翻訳が間違ったら、違った解釈にとられてしまう可能性がある。内容に対する知識が如何に重要なのかは言うまでもないと思う。そして、感情を表す能力。簡単に言えるが、思ったより簡単ではない。少なくて、僕がそう思っている。

勿 論、文書の表現スキルも必要。これについて、菊川さんのjjjブログの「コンテンツレクチャ」を読んで頂きたい。そこで、コンテンツを書くときに心がけな いといけないことが詳しく書かれている。そして、その言葉に対してスキル(言語能力)も文書での表現に大きく関係している。例えば、"作る"という言葉が 元文書の中に現れ、その文書を日本語に訳する。言うまでもないが、"作る"という単語は下記のどちらかの言葉に表現できると思う。
  make
  manufacture
  produce
  construct
  build
  create
  fabricate
  assemble
  turn out
  put together
思ったより多いことが分かる。
上記の単語のどちらを使用するのかは、上記の3つの要素がある人だけ正確に判断できる。そうでなければ、一応日本語の文書になったという結果になる。本来の翻訳目的、文書を書く目的に一致しない。だから、翻訳という仕事は難しいと思う。

金曜日, 12月 30, 2005

習字と性格

先日、西牧さんから習字のトレーニングの機会を頂いた。私も当然参加させて頂いた。目的の一つは、日本の文化を理解すること。もう一つの目的は、漢字等日本の字を体験し、少しでも日本語を使うデザイン等で役立つことだと思う。

習 字に関して、一言言わせると、難しい。私はアート系に苦手であることを再認識させて頂いた。結果は予想通り、メチャクチャだった。12年程日本で生活した ことがあると思わせないヘタっぷり。恥ずかしいですが、初心者に全然負けていた。「東京国際書道展」に出品し、感謝状をもらったことはなんだったんだろ う。(展示したものは勿論漢字ではないが)

そして、採点の時が来た。そして、見事に一番下手だと言えるぐらい、恥ずかしい結果となった。西牧さん、ごめんなさい!トレーニング中に決して遊んでいたわけではない。

習 字と言えば、性格と深く関連があると言われている。一つ一つの文字から「この人はこういう性格を持っているだろう」のように予想できるらしい。じゃ、今回 の習字で僕がどういう性格の人間に映っていたのだろう。何となく気になる。インドネシア語には、こういう諺がある。"顔を変えるのは不可能だが、性格は変 えられる"。これは本当なんだろうか。そうだとしたら、自分が書いた字の特徴も違ってくるのだろうか。或いは私が認識している性格というものは違っている のだろうか。ちょっと疑問に感じ始めた今頃。(おそーーい!)